留学して仕事して、楽しんで英語を勉強しよう

東京、アイルランド、カナダでの生活を終えて。 誰にも言ってなかった事、ぶっちゃけていきます。

友人の選び方?! 〜番外編〜

"この先出会う人" と 

"もう出会ってしまった人"

 

 

 

 

どうもです。

前回の更新から 約1ヶ月 ほど空いてしまいました。

以前まではイタリア編のお話をしていました。

 

 

一応報告ですが、

 

 

この留学記は今後も続けていく予定です。

 

前回の記事を読んでいない方はこちら ↓

 

teppei-kuwabara.hatenablog.com

 

 

 

今日はちょっと留学記からは離れて、私事のお話。

興味があっても無くても、読んで損はないと思います。

短くまとめます。

 

 

1年ぶりの連絡

 

ここ1ヶ月、自身のブログにログインすることも無くなっていましたが、

今日、夕暮れをむかえた頃、約1年ぶりの友人からLINEが来ました。

 

 

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よくよく見てみれば、メッセージ上の『不在着信』

 

 

 

今年の2月9日。

 

 

…?

 

 

『不在着信??』

 

 

 

 

9ヶ月も返信しなかったの、

 

 だったんですね。。。

 

悪い癖です。(申し訳ない)

 

 

 

何より嬉しかったのは、そんなに膨大な期間が空いていたにも関わらず、

僕の記事を見てわざわざ連絡をくれたということ。

 

 

以前にも、更に長い期間会っていなかった友人が

『ブログ読んだよ!』

と連絡をくれたことがあります。

 

具体的に誰のため、と決めたわけでもなく始めたブログでしたが、書かない期間も、アクセス数は減っていませんでした。(もともと多くもないですが。笑)

 

いつも誰かが僕の書いた記事を読んでくれている。

 

それはきっと僕の友人。

 

それはきっと僕がまだ見たこともない人たち。

 

誰だっていいけど、僕は今日、もう一度、

 

人との繋がりを感じました。

 

 

 

20歳を超えるということ。

 

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23歳になって、InstagramなどのSNSの存在からも少しずつ遠ざかり、

LINEでのコミュニケーションすら希薄になっていく自分。

 

未返信など日常茶飯事。

 

返信内容も友人と物理的距離が開けば同じ分だけ薄くなる。

 

友人を大切にしないわけじゃない。

 

むしろ人は友人無しでは生きていけない人の方が多いだろう。

 

 

人は僕のことを冷たい人間だと思うこともあったみたいだけど、

かつて自分はこう思っていることもあった。

 

『人との繋がりが大切。ただ、自分に有益になる友人は過去の人では無く、未来に出会う人々。自分は自分のフィールドに生き、情熱を注いでいれば自ずと対価に見合う人が現れる。その人が自分の友人になっていくのだ。』

 

と。

 

だから自然と過去に出会ってしまった人に連絡をするのを避ける。

というよりも、他動的にしなくなっていたのだと思う。

 

 

ただ最近は特に気がつかされることが多い。

ブログを書いていてよかった。

 

前に進んでいる自分を気づかせてくれるのは

 

いつも、

『過去に出会った人々』

 

であり、

 

今後の知恵を与えてくれるのは

『未来に出会う人々』

 

だということ。

 

 

もう出会ってしまった僕の友人は僕のことを見ていてくれる。知っている。

久しぶりに会う場合でもなんでも、”過去の僕” を知っているのはその人しかいないのだから。

 

 

友人の定義

 

定義なんて必要はない。

 

けど、

 

僕には

1つだけ大切にしている事がある。

 

20歳前後。

 

学生気分を卒業すれば待っているのは、友人を作る場というよりも、愚痴をこぼす相手探し。

または、1日の気分を晴らす同胞を探す。

その相手(同胞)を友人と呼ぶのであればそれは誰かの言う友人の定義からはきっと遠ざかる。

 

 

愚痴でも何でも、話せば真剣に聞いてくれる友人はあなたにも一人はいるだろう。

 

ただそこできっと自分に問いかけなければいけないのは、

 

『その友人の時間をただ奪ってはいないか?』

 

という事。

 

これだけはきっと心の片隅に刻んでおかなければいけない。

 

 

アウトプットするという事

 

 

Instagramもほとんどしなくなり、Facebookも更新しないことが多くなった。

 

これは

 

『なぜわざわざ自分という人間を発信する必要があるのか』

 

という疑問に陥ったからなのだが、

 

これについての答えは単純明快だ。

 

”人が自分を気にかけてくれているから”

 

であり、

 

”その人へのメッセージ”

 

を様々な形で伝えられるのがSNSによって容易になったということ。

 

SNSなんてしなくてもいい』

 

そう言うのは簡単だが、

 

それはきっと携帯も無かった時代。

 

ベルの鳴る黒電話に背を向け、受話器を取ろうとしないのも同じ。

 

人と繋がろうと思えば、

相手からの無言のメッセージを受信しつつ、自分をなんらかのツールで発信しなければならない。

一人でも自分を気にかけてくれる人がいるのなら。

 

 

発信した時、必ず誰かから連絡が来る。

 

それはまさか連絡が来るはずもないと思っていた相手かもしれない。

 

 

そんな驚きと発見、繋がり、自分の居場所を気がつかせてくれるのに、アウトプットはきっと欠かせないのだろう。

 

 

 

 

つまり。

言いたいことは、

 

友達大好き

 

ってこと。

自分から特定の人に連絡することは絶対に無い僕だけど、

 

いつも気にかけてます。

 

 

 

ではまた!!!

 

 

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